日本人の誇りとは一体……
- renasuvarukyuria10
- 2021年1月24日
- 読了時間: 5分
日本人というだけで、わざわざ来た道を戻ってまで握手を求められたり、笑顔で接してくれたり、海外の一部の親日国家ではそのように日本人は見られ扱われることがあります。もちろん敵対されることもあるでしょうけれど。で、今の国内の日本人ってどうかというと、首相に対してアホだふざけんなばーかみたいなこと平然と言うような低俗な国民性になっていると感じます。私は首相が誰だろうが別にどうでもいいし気にもしませんが、その理由は私は首相と直接会ったこともなければ話したこともない他人だからにほかなりません。テレビでしか見ないし、何よりそのテレビは虚偽にまみれ信頼性もなく見ると脳みそが退化するだけのゴミ。最近のコロナでは毎日感染最多更新重症更新など危機感をあおるのみで、感染から回復した人数やその年齢別の内訳、軽傷で済んだ患者の人数(すら)報道しようとしません。最多最多最多なんて普通に考えて糞みたいなニュースしかなく信用性のない媒体でしかわからない首相に対して一体何を言えるというのでしょう。また言って何か自分に特があろうかと思うのですが、どうやら声の大きな日本国民はそうではないようです。
自分の見知っていない他人に対して、あーだこーだと文句を言いまくり、しまいには不倶戴天の敵であるかのように莫大な負の精神エネルギーで攻撃するような見境のない民族になっているように思います。しかも表立ってそれをするのではなく、顔も身分も隠したうえでそれを行うのは、どうなのでしょうね。それをやっている当の本人は気づくのが難しいかも知れません。例えば親日国の国民がそのような日本人の姿を見たら悲しむというか私が憧れた日本人って……となると思うのです。多くの人には親や子がいると思いますが例えばあなたが首相に対してふざけんなお前の言うこと信用できねえ、とか危機感ゼロ!とか、首相の器ではない、とか言うのを目にしたら、「だから何なの?……」の一言で終わるどころかまた始まったのか、あー面倒くせ、と内心思うかも知れません。なぜならあなたのその行為が何の役にも立たないどころか見ている他人の心までむかむかさせるだけだと知っているからです。第一首相と対等に意見できる立場でもないのですから見ていて痛い奴とすら思えます。実際私の親もテレビを見るたびそのような発言ばかりしていたので、子供たちは尊敬できるはずもなく、夕餉の席ではお互いため息をつき早く終わればいいのにと口々に言っていました。
さて、ではこれは一体悪いのか良いのか? で考えると実は善悪で考えるべき問題ではないのだと思います。音楽に高音低音の旋律があるように単に今はこのような時代なのだ。で良いのではないかと。。個人的には思います。少なくとも悪いやめろと誠心誠意自らのエネルギーを消費してまでただそうとしなくても良いのではないかと。思います。
戦争に赴いた祖父はいくら上官から叱正され暴力を伴った教育を受けても自分より身分の高い相手、ましてや自分は教えを乞う身。文句を言うのは恥だと思い耐えて耐えて勉強していたと聞いています。それが昔の日本。昔の日本人の心境だったのでしょう。現代は違います。教師が子供を叩いた? よし俺が教育委員会に言う(父親)私は学校に乗り込んで教師に文句言ってやるわ(母親)言いたいことやりたいことなんでもかんでも見境なくやる。言う。大声で発言する。騒ぐ。それも大勢がそれをする。の時代。
アメリカのトランプという国家の代表はツイッターでもそんな子供じみた発言をしていましたが、別に良いと思います。このようにいくところまで来てしまった以上、今更たっと一人がダメだ。それは恥だ、おかしいと言ったところでひねりつぶされるのが落ちなのです。トランプにしろ今のメディアの状況で正論言っても何も効果ねーだろ。だったら俺も同じことして何が悪い、と心の底で思っていた可能性だってありますしね。想像の域を出ませんが。
思うのは、人々の思想というのは時代とともに少しずつしか変化しないということです。これは確かでしょう。江戸から明治大正昭和、時代を巡って令和に至るまでの長い時間で少しずつ変わって今がこうというだけなのです。それが良いのか悪いのかは実際どうでもよいのです。なぜなら意見を言うのであれば比較対象が必要になってきますから。悪いと言うからには良い比較対象があるはずで、誰かが今の日本人はダメと言うのであればその人の発言には(昔の日本人は清楚でおしとやかだったのに今は)ダメ。というように正反対の比較対象があるものなのです。そして、音楽の旋律が最も高音に至った後に低音に落ちるように、一度もう限界だ、にならないと反対の意見というものは浸透しないのかもしれません。周囲をよく見てください。ニュースでも人々の姿、発言でも良いです。最近声が大きいだけで内容薄いのにそんな方々ばかり大声で意見する時代になったなぁと私は思います。おそらく次の世代、百年後二百年後には、そのような声が大きいだけで薄っぺらい方々は淘汰されて大事なことを静かだがきちんとこなす人間がクローズアップされ、さらにその百年後二百年後には、そのような物静かな人間が淘汰されてうるさい奴らが出張ってくると思います。音楽と同じように、そうして人の世が続いていくのでしょう。まだ半世紀も生きてませんがそう思います。おそらく私は今の時代に合っていないでしょう。人々が口々に言う正論、世論、当然だというそれが、嫌でたまりません。逆説的に今の時代は凄く生きやすい、助かる。好きなこと言えるしできる。最高、という方も居るはずです。どちらでも良いのです。けれどもせめて一緒に暮らす大切な恋人や伴侶となる人は自分と同じような属性にしたほうが良いと思います。人間のストレスというものはものすさまじく強力で破壊力のあるストレス1個では破壊されませんが、細かいことでも継続して発生する(それこそ毎日発生する些細な)ストレスの積み重ねによって多くの場合破壊されるからです。気を付けてください。せめて心を穏やかに過ごしてまいりましょう(*´ω`*)

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